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マトリョーシカの起源は姫だるまだった?

マトリョーシカ-姫だるま

愛媛の伝統工芸品「姫だるま」

「姫だるま」は、女性の顔にだるまのように丸い体を持つ伝統工芸品です。

普通のだるまと違うのは日本人形のように髪の毛があり、化粧が施されていること。

そして雛人形のように対をなす男のだるま「錦だるま」もあります。凛々しいまゆげや金色の装飾、甲冑のような飾りがあるのが特徴です。

愛媛県では、この姫だるまを子どもの成長と幸せを願うマスコットとして、結婚やお誕生日などのお祝いごとに送る風習があります。

マトリョーシカの起源は姫だるま?

ロシアの有名な民芸品「マトリョーシカ」♪ 実はこのマトリョーシカには、姫だるまをイメージして作ったという説があるんです。

ロシアと愛媛には日露戦争時代に結ばれた深い絆があります。

1904年、愛媛県松山市に全国で初めてのロシア人捕虜収容所が設立されました。

捕虜として捕まったロシア兵は敵国の兵士として日本人に酷い扱いを受けるものと思っていましたが、収容所の看護師は優しく接したのです。

日本人看護師の対応に心を打たれたロシア兵は、まるで守護天使のようだと限りない称賛を捧げたという記述を残しているんだとか。

ロシアと愛媛にそんな関係があることから、マトリョーシカは姫だるまから着想を得て作られたものではないかと言われていました。

しかし、日露戦争より前のパリ万博でマトリョーシカが展示されていたという記録が残っていることから、この説は払拭されてしまったそう。

細工としては、島根県の入れ子人形の方がマトリョーシカと1番近く、これを参考にしたものとされる説もあります。

ですが、看護師達の守護天使というイメージと、愛媛で愛されていた姫だるまのイメージが日本の印象として残ったことは、マトリョーシカを作る上で影響をもたらしたのではないかと思います♪

姫だるまのモデルは神㓛天皇だった?

姫だるまは、日本初の女帝「神㓛天皇」をモデルに作られたとされる説もあります。

神㓛天皇は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子である14代目仲哀天皇の皇后(妻)で、15代目応神天皇の母。

海外遠征に向かわれる途中に道後温泉に立ち寄られた神㓛皇后は、道後のお湯で身を清めながら国家の平和と繁栄と、自分の身に世継ぎを賜るよう神に祈りを捧げました。

そして住吉大神のご神託によりお腹に子どもを授かったんだそう。そのとき、ご懐妊を記念して姫だるまが作られたと言い伝えられているんです。

神㓛皇后がご懐妊された姿を模しているので、姫だるまはふっくらとしたシルエットをしているのだと言われています。

まとめ

調べれば調べるほど、ミステリアスな「姫だるま」。

最近は愛媛でも見ることが少なくなってきていますが、古くから大切にされてきた愛媛県の伝統工芸品を、これからも大切にしていきたいですね。