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回転寿司を開発した人物は愛媛出身だった

回転寿司 開発 愛媛

回転寿司の生みの親・白石義明さんは愛媛出身だった

回転寿司の生みの親と言われているのが白石義明さん。愛媛県東予地域にある四国中央市のご出身です。

白石さんは、大阪府東大阪市で立ち食い寿司屋を経営していました。

東大阪といえば中小企業の工場が多く立ち並ぶ地域。工場で働く人々に喜んでもらいたいという思いから、1皿20円という低価格で寿司を提供していたんです。

安く美味しい寿司が食べられるとあって店は大繫盛。一方で、寿司を握る職人を雇うことが難しくなっていました。

打開策として、白石さんが開発したのが「コンベヤー旋回食事台」。現在の回転寿司レーンの元となるものです。

ビール工場を見学した際、ビール瓶がベルトコンベアに乗って運ばれている様子を見て閃いたんだそう。コンベヤーでお寿司を運ぶことで回転率が上がり、職人の作業負担を軽減することにも成功、少人数でお店を回すことができるようになったのです。

そして昭和33年4月、コンベヤー旋回食事台を導入した「廻る 元禄寿司 1号店」をオープン。これが日本初の回転寿司店です。

さらに翌年には宮城県仙台市にも元禄寿司をオープンさせ、翌々年に日本万国博覧会に参加出店。食事優秀店として表彰されます。

これをきっかけにコンベヤー旋回食事台が日本中から注目を浴びることに。回転寿司は全国、そして世界へと広まっていきました。

知られざる回転寿司開発秘話

コンベヤー旋回食事台の開発には、10年もの歳月を要したといいます。

一番難しかったのは「コーナー」。開発当初のコンベヤーは長方形で、コーナーを曲がり切ることができなかったそう。

しかし、白石さんが子どもとトランプをしているときにふと思いつき、コンベヤーの角を丸くして三日月型に変更。このアイデアによって上手くコーナーを曲がることができるようになったんです。

材質がステンレス製からプラスチック製に変わっているものの、三日月型の形自体は今も変わっていません。

湯のみでボタンを押すとお茶が出てくるシステム「自動給茶装置」も元禄産業株式会社が開発したものなんですよ。

まとめ

白石義明さんは平成13年に亡くなられていますが、息子さんがその思いを受け継いでいます。

もしコンベヤー旋回食事台が開発されていなければ、寿司が現在のように大衆向けの食べ物にならなかったと思うと、とても偉大な発明であることが分かりますよね。

こんなすごい人物が愛媛県出身だなんて、なんだか誇らしく思えてきます。次に回転寿司を食べるときには開発にかかった努力に少しだけ思いを馳せてみてはいかがでしょう。