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キラキラ輝る宝石は思わず見惚れてしまいますよね。見た目が宝石のように美しい宝石があれば手にとってしまう方も多いはず。今回は味はもちろん、見た目も魅力いっぱいの”琥珀糖(こはくとう)”のルーツをご紹介していきます。プチギフトしてもきっと喜ばれます。ご興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。
琥珀糖の由来 ”琥珀糖(こはくとう)ってなにもの?
まず琥珀糖を初めて知ったという方のために、琥珀糖の正体を解説していきます!琥珀糖の原料は寒天とお砂糖です。それらを混ぜて固めたものを乾かし、表面を結晶化させています。「見た目はカリカリそうなのに、中身はゼリーみたいだなあ」と思っていたのですが、寒天を使用していたというところに納得しました。意外と手間暇かけて作られているんですよ!
最近は自分で手作りする人も増えて、YouTubeでは食べる音を収録して配信をする「もっぱん」でよく登場しています。さらにその繊細な美しさに海外でも琥珀糖を作る方もいて「Japanese candy」として紹介されていました!外側がシャリっとして、中はプ二プ二。不思議な食感と美しい宝石のような見た目はインスタ映えはもちろん、ギフトにも喜ばれるでしょう。
江戸時代はお砂糖が貴重品だった
メディアでも取り上げられることが多くなった琥珀糖ですが、ルーツは江戸時代までさかのぼります。当時中国から日本へ持ち込まれたお砂糖は、遣唐使によって広められました。現代は物質的に豊かになり、お砂糖は簡単に手に入りますよね!ですが当時は「薬」として認識されていました。お砂糖は高級品だったんです。
その後にポルトガル人が日本に南蛮菓子を持ち込んだと言われています。そしてこの頃からカステラや金平糖など、日本に馴染みのあるお菓子が作り始められはじめました。金平糖もお砂糖が入っているので、当時はとても高価で贈答品だったようです。今のように琥珀糖も金平糖も手軽に購入できるものではなかったのは間違いないですね。
琥珀糖の呼び名はさまざま
そんな高価なお砂糖をたっぷり使う琥珀糖。
当時の呼び名は「金玉糖(きんぎょくとう)」と呼ばれていました。驚いたことに江戸時代で琥珀糖と言うと卵料理を指していたそう。金玉糖から琥珀糖へと時代と共にさまざまな呼び名へ変化していったようです。
最初に作ったのは寒天の創案者でものある「美濃屋太郎左衛門」。京都の伏見稲荷で旅宿で営んで寒天をお客に出していました。同じように琥珀糖を出していたのかもしれませんね!
琥珀糖の名前の由来は?
琥珀糖の他に「金玉羹」「錦玉羹」など色んな呼び名がありました。琥珀糖のガラスのように透き通る見た目から
・水
・川
・空
・夜空
など季節の移り変わりや自然を表現するため名前が付けられたと言われています。確かにおはじきや風鈴、わらびもちなど透明で風情を感じられるものは綺麗ですよね!江戸時代の人々は透明感のある琥珀糖の見た目で、季節の変化を感じていたのかもしれません。
プチギフトを体験できるお教室 in 愛媛
琥珀糖をはじめ、キラキラした見た目の和菓子が手作りできると良いですよね。見て楽しい食べても美味しい和菓子作りを体験できるお教室があります。大人のための癒し”をテーマに活動されていらっしゃる「zakka irodori」
zakka irodori(@irodori.wagashi) • Instagram写真と動画はこちら
インスタグラムを拝見すると、手作りとは思えないほど素敵な和菓子がズラリ。西予市の自宅教室や松山市のレンタルスペースでレッスンを行われているようです。体験~資格取得口座まで大人のための癒し体験をテーマに活動されています。
・あんフラワーケーキ
・練り切り・和菓子
・ハーバリウム
・キャンドル
・ファブリックデコ
・カラーセラピー
・シフォンケーキ
・チーズケーキ
・出張レッスン など
和菓子だけでなく生活を豊かにするようなアイテムも体験可能!一つのジャンルにこだわらず、豊かな知識を学ぶことができそうです。新しい趣味として和菓子作りに挑戦したり、みんながわあっ!と驚くようなものを作ってみるのはいかがでしょうか。
最後に
いかがでしたか?
SNSでも話題の琥珀糖のルーツを解説しました。甘いものは時代を問わず愛されるものです。食べるのも良いですが、作る楽しさも体感してみてくださいね!今年の冬は手作りで色んなお菓子に挑戦してみましょう!