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オフィス ナテュレ代表・藤山健さんインタビュー~前編~

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オフィス ナテュレ代表・藤山健さんのインタビューの模様をお届けします。

前編では、普段どのような活動をされているのか、愛媛からオーストラリアへ渡った理由やコーヒーとの出会いについて伺いました。

※ 本記事にはプロモーションを含む場合があります。

藤山健さんは、1964年生まれ。愛媛県松山市出身。大阪芸術大学へ進学し、卒業後は大阪毎日新聞に入社。
1990年にはオーストラリア シドニーへ渡り、フリーのカメラマンとして活動。
帰国後開業したオーガニックカフェ「ナテュレ」と「ブルーマーブル」は松山市で一世を風靡した。
現在は、「オフィス ナテュレ」の代表/プロジェティスタとして愛媛の魅力を世界へ広めるため活動している。

「藤山健」の活動=「オフィス ナテュレ」の活動

――オフィス ナテュレではどういった活動をされていますか?
「藤山健」としての活動が、「オフィス ナテュレ」での活動なんです。

僕は昔、”カフェブーム”をつくった「ナテュレ」と「ブルーマーブル」という2つのカフェを経営していました。「ナテュレ」という名前はそこから来ています。
当時お店に通ってくださっていたお客さんは「ナテュレ」という名前をよく知って下さっているんですよ。
現在はカフェとしての活動はやっていませんが、個人事業主という形で「ナテュレ」という名前を残しておきたかったというのが「オフィス ナテュレ」を立ち上げた理由です。
僕の中でも「ナテュレ」の存在は大きかったんですね。

ですから僕としては、「オフィス ナテュレ」としてやっていることは、カフェを経営していた頃からの延長だと思っています。

現在の日本にあるカフェには、ファッション的な意味合いが強いお店が多くなってきているんですが、本来カフェという場所は「コミュニティ」、つまり人と人とが繋がるアナログな地域交流の場だったんですよ。
僕はカフェを経営している当時からそういった考え方を重視していて、六次産業や地域再生、地域農業の活性化のための活動をしていたんです。

2005年~2007年当時は、そういった問題には目を向ける人はあまり多くありませんでしたが、最近になって注目されるようになりましたよね。
時代が変化したことによってカフェを経営していた頃の理念が、結果的に今「オフィス ナテュレ」の事業となったんです。

オフィス ナテュレの事業内容は多岐にわたっていて、説明をするのが非常に難しいのですが、主に企業のコンサルを行っています。
最近では、インバウンドに関する相談を受けることもあります。「伝統物産や産業をどのようにしていくか」という課題について外国の方の意見をまとめるコーディネーターのような役をやっていますね。
ですから簡単に言うと「コーディネーター」や「コンサルタント」ということになるかと思います。
でもそういった言葉があまり好きではないので、僕の場合は人と人、地域と地域を結ぶという意味で「プロジェティスタ」と名乗っています。

「もっと世界を見てみたい」その思いでオーストラリアへ

――1990年にカメラマン・ジャーナリストとしてオーストラリア・シドニーへ渡られていますが、海外の中でもオーストラリアを選ばれた理由は?
当時僕は大手新聞社で働いていました。普通の人なら「転職しよう」という考えにはならないですよね。
でも僕はけっこう変わり者で、入社4年目に入った頃に、「このまま日本にいると、こんな風になるんだろうな」という自分の将来が見えてきてしまったんです。

海外に行くことは中学生の頃から漠然とした夢として持っていましたが、それまで行動に移すことはありませんでした。
当時愛媛では「海外に行く」ことがまるで「月へ行く」のと同じように考えられていて、周囲から否定されることは目に見えていましたから。

社会人になってからは、ある程度稼ぎができていましたし当時はバブルで日本中景気がよかったので、その時にやっと「外国に行ってもっと世界をみようかな」という気持ちになったんです。

それで、何故オーストラリアを選んだのかというと、当時あまり知られていない国だったからからです。
アメリカやイギリスなどの誰でも知っている国には行こうと思わなかったんですよ。逆にロシアなどの英語圏でないところは不安があって選びませんでした。

そんなときに、オーストラリアという国の存在を知ったんです。
英語圏ですから英語をやっていれば言葉も通じますし、なにより当時の日本ではオーストラリアはそれほど認知されていませんでした。
僕はその当時カメラも趣味でやっていたんですが、「オーストラリアは風景が綺麗で、写真もいいものが撮れる」と聞いていてピッタリだと思いました。

とにかく、日本にいて情報が入ってくるぐらい有名な国には興味をひかれなかったんですよ。
「俳優になりたい」とか何か目的があったら行きたい国も決まっているんでしょうけど、当時の僕には特に目的という目的が無くて、とにかく日本を出たい、日本以外の国のことを知りたいという気持ちだけでしたから。

例えば、アメリカやイギリスのアーティストといわれると「マイケルジャクソン」や「ビートルズ」がすぐに思い浮かびますが、オーストラリアのアーティストと言われてもすぐには思いつきませんよね。そういうことなんです。
「分からないからこそいってみたい」。そういう気持ちでオーストラリアを選びました。

オーストラリアに渡ったからこそ分った愛媛の魅力とは?

――オーストラリアに渡ったからこそ気づいた愛媛の魅力はありますか?

「温故知新」とか「隣の芝生は青く見える」とう言葉があるように、海外に行くと、愛媛に住んでいると普通に思えることも本当は素晴らしいことだということがよく分かるんですよ。
でも、なかなかね。毎日同じ環境に身を置いているとその良さは分からないですよね。分りにくい。でも一度外にでるとよく分かってくるんです。

最近は、愛媛にもインバウンドの方が多くいらっしゃいますけど、愛媛県民からすると「わざわざ何で愛媛に来るの?」って思うでしょ。
でも彼らが愛媛に来るのには様々な理由があって、その一つは、東京や大阪はもう行ったと。だから東京や大阪とはまた違った日本を見たいというのがあるんです。

住んでいる人からすると分かりにくいですけど、愛媛という場所は凄いんですよ。
海もあって、山もあって、ご飯も美味しくて、災害は少なくて、住みやすくて、行こうと思えば自転車でどこへでも行けるし。
そういうことはですね、そんなにあることではないんです。同じ日本でも。そこが、愛媛の魅力なんですよ。

――世界に愛媛県を発信していくには、どのようなことが重要でしょうか。

僕は今までいろんな人に携わってきましたけど、愛媛に住んでいる人はそれを分かっているようで分かっていないんですよ。
便利さが当たり前になっているから、改めて感謝することはないですよね。

だから、愛媛を世界に発信していくためには、世界に、あるいは愛媛県外に出て「愛媛の良さ、ありがたさ」を分った人が発信していくしか方法がないと思うんですよ。
愛媛の素晴らしさを身に染みて感じた人が発信しなければ、真実が伝わらないと思います。それが僕たちの宿命だと思うんです。

それと、これからは「愛媛の人が自分の県に自信を持つこと」が必要だと思ってます。
どこに行っても愛媛の方は「こんな田舎までようこそ」「こんなものはつまらないですけど」とか言いますよね。

でも、愛媛を観光する人は「こんなもの」のために愛媛に来てるわけですよ。それを否定するようなことは言ってはいけないんです。
日本でいう謙遜とか、下手に出るっている精神は、もちろん素晴らしいんですけど。
それがあまりにも多すぎたので、逆にこれからは「愛媛はこれが目玉なんだ」「これしかないけど、ぜひこれのために愛媛に来てください」って言い方を変えれば「おお、来たかいがあったな」と思ってもらえると思いますよ。

コーヒーとの出会い

――藤山さんと言えば「コーヒー」というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、コーヒーとの出会い、コーヒーを好きになったきっかけはありますか?

昭和40年ぐらいの日本では、サイフォンが本当にブームになっていて、各家庭に1台はあったんですよ。
そのころ僕は小学生か中学生ぐらいでしたけど、サイフォンを見て「なんておしゃれなんだろう」と思ったんです。

中学校ぐらいの頃はジャズも好きでした。
他の子は歌謡曲、ピンクレディーや石野真子とか松田聖子さんが好きでしたけど、僕はひとりだけ、とにかくそういう少年だったんです。
ジャズとかコーヒーとか、そういう大人の世界に憧れを抱いていましたね。

当時はもちろん子供ですからコーヒーの味はただ苦いだけでしたけど、器具の格好良さに憧れていて、サイフォンを触るのが好きになりました。
それが最初のコーヒーとの出会いです。

それからずっと月日が経って、大人になると今度はコーヒーの味を楽しめるようになったんです。
そうすると、ますますコーヒーが好きになりました。

次にコーヒーの魅力に気づいたのは、オーストラリアに渡ったとき。
「エスプレッソ」や「カプチーノ」に初めて出会ったんです。その当時、1990年の日本にはないものでしたからね。
「海外にはなんておしゃれな飲み物があるんだろう」と思って、さらにはまっていったんです。

僕とコーヒーとの出会いは、その3段階ですね。

様々な出会いや経験がカフェを開業するきっかけに

――カフェをつくろうと思ったのは、コーヒーとの出会いがキッカケになったのでしょうか?

実は、はじめからカフェをすると思っていたわけではないんです。

オーストラリアに渡ってから僕はカメラマンとして活動していました。
当時は「フィルムカメラ」が主流だったわけですが、1997年ぐらいから「デジタルカメラ」というものが普及し始めたんです。
デジタルカメラはどんどん広まっていって、やがてオーストラリアに来る日本人観光客もカメラを持つようになりました。
そうすると、カメラマンの仕事はなくなっていったんですよ。

その頃に「カフェをやりたいな」と思い始めていましたけど、まさか松山で「ナテュレ」を出すとは思っていませんでしたね。

その後2000年に日本に帰国しましたが、帰国してすぐ「ナテュレ」をはじめたわけではないんです。
というのも、それまでは飲食業に携わったことがありませんでしたから、勉強して知識はついてもコーヒー以外の「食」のことは分らなかったんですね。
そういう状態でカフェを開業することは僕の中では絶対にタブーだと思っていたんですよ。

そんなときに声をかけて下さったのが遠赤青汁という無農薬有機栽培の青汁を製造している会社の社長さんでした。
初めは半信半疑な状態でしたけど、実際にそこで働いて、農業をしてみて、食べるものを一から作っていく過程を知ることはすごく大切なことだと気づいたんです。

いまでこそ青汁ってみんな知っているものですけど、当時は青汁が何でできているのかも知られていないような時代です。
畑をつくって、ケールを育てて、それを加工して、全国の百貨店に社長と一緒に営業にいきました。
その時に「これからの時代は『健康志向』が絶対に流行るはずだ」と思い、「青汁が飲めるカフェ」というコンセプトで立ち上げたのが、フランス語で自然という意味の「ナテュレ」というカフェなんです。

だから、コーヒーが好きだからとか、オシャレだからといった理由でカフェをつくったわけではないんですね。
いろいろな人との出会いや発見がカフェを開くきっかけになったんです。

「食」へのこだわり

一つは、地域の食材を使うということです。
「地産地消」という言葉は2007年ぐらいから、いろんなメディアが言い始めましたよね。
でも僕は、「地産地消」という言葉があまりすきではないんです。ごく当たり前のことですからね。

昭和初期や戦後には流通がなかったから「地産地消」が当たり前だったんです。
産業革命や高度成長期によって日本全国と言わず、全世界のものが愛媛にいながらにして食べられるようになったわけですよ。

僕の理念は、地域で生産していないものは輸入しても構わないけれど、魚にしても果物にしても地域で作っている人がいるのなら、まずはそれから食べようというものなんです。

カフェを経営していた頃、松山市にあった多くのカフェではスーパーで買えるようなパック入りのオレンジジュースを出していました。
それを見て、「そんなものはスーパーで買えば飲めるじゃないか」と思っていたんです。だから僕の店では、愛媛産のオレンジジュースを提供していましたね。

もうひとつはできるだけ健康にいいもの、オーガニックのものを選ぶことですね。
安心安全とかオーガニックとか言われている割には、ほとんどの人は添加物が入ったものを食べているんです。
もちろん僕も100%オーガニックにするのは不可能ですよ。でも、意識して選ぶようにしていますね。

カフェをしていたときも、カナダからオーガニックのシロップを仕入れてソーダを提供していました。
そのシロップは、1本2,400円ぐらいするんですけど、添加物や化学物質が入ったものは1,200円ぐらいになるんです。
値段が安いから後者がよく売れるんですよね。みんな安心安全がいいといっているのに、実際商品を選ぶときにはそうなるんですよ。

――地産地消とオーガニック、どちらも現在はスタンダードになっていますが、藤山さんは早くから取り入れられていたんですね。
当時は受け入れられなかったんですよ。
発芽玄米なんかもそうです。2000年頃は、カフェで発芽玄米のライスを出してもみんな残していましたね。白米じゃないから。
今はどこのカフェをみても五穀米や五穀米とか出してるでしょ。
食材が「愛媛産」であるということを大々的にアピールするお店も多いですしね。

そういうのを見ると、よかったなと思う反面、「早すぎたな」と思うこともあります。人からもよく「藤山さん、早すぎたね」と言われるんですよ。
でも「早くやるひと」がブームをつくるんです。僕の座右の銘は「流行は追うものではなくつくるもの」。
流行を追うだけではお店も文化も伝統も定着しないんですよ。

最近は松山市にも全国的にはやっているチェーン店が多くなっていますよね。
でも、それをよしとしてはいけないと思うんです。
たとえば、全国チェーンのお店が増えすぎると松山に来たことがない人に「どこか松山でいい店ない?」と聞かれたときに紹介できないでしょう。

僕は、地産地消にしてもオーガニックにしてもストイックになりすぎないようにしています。
ポテトチップスなんかも食べますし、コンビニで買い物するし、全国チェーンの店に入ることもあります。
でも、そういうものを食べたり買ったりしてもSNSで紹介したり人に進めることは絶対にしません。
それを良いものだと言う人が多いと、つまらない町になってしまうと僕は思うんですよ。

まとめ

後編では藤山さん直伝コーヒーの入れ方のコツや、おすすめの愛媛のカフェなどを伺いました。
いつもアクティブに活動していらっしゃる藤山さんのタイムマネジメント術にも迫りますよ。
次回更新をお楽しみに♪

藤山健……オフィス ナテュレ代表/プロジェティスタ。愛媛県にカフェが無い時代から地域密着型カフェ「ナテュレ」、「ブルーマーブル」を展開した愛媛の「食」の先駆者。
SCAAアメリカスペシャリティコーヒー協会カッピングジャッジ(コーヒー鑑定)や農林水産省6次産業プランナーとして活躍、松山市の調理製菓専門学校では講師も務めている。
現在では、人と人、地域と地域を繋ぎ、食だけに留まらない愛媛の魅力を世界中に発信している。
オフィス ナテュレ-Facebook: https://goo.gl/yBY9G7

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