でも実は、250年以上もの歴史を持つ「桜井漆器」もあるんです。今回はその誕生に隠された驚きのエピソードをご紹介します。
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「桜井漆器」って?
「桜井漆器」は、1828年頃から愛媛県今治市の桜井地域で作られている漆器です。
その特徴は、「櫛指法」と呼ばれる製法にあります。
漆器でできた重箱の角を櫛の形に加工し壊れにくくするもので、壊れにくく離れにくいため縁起物として重宝されています。
しかし、桜井漆器の本当に優れた点は商法にあります。
漆(うるし)のない土地でなぜ漆器ができたのか
実は桜井漆器の誕生以前にも、漆器は全国各地で作られていました。
普通、工芸品はその原料の産地で盛んに作られますが、桜井には漆器の原料となる漆(うるし)の木がありませんでした。
しかも、もともと桜井の人々は隣町の拝志地区で作られた農器具を仕入れて販売していたんです。
では何故漆器を作ることになったのか。その秘密は商人の優れた“先を見通す力”にありました。
今治は「海運」が発達した地域で、桜井の浜にも商船が度々訪れました。
桜井の商人は水、食糧を補給していく人々を見て「これからは農器具よりも漆器が売れるのでは」と思いついたんです。
とはいっても、原料となる漆もなく、漆器を作る職人もいません。
そこで、始めは海運が盛んだった波方地区の船を借り、和歌山から仕入れた漆器を九州へ売りに行き、そこで仕入れた陶器を大阪へ売りに行きました。
これが成功すると桜井は注目を浴び、各地から漆器づくりの職人たちが集まって桜井漆器が作られるようになったのです。
売上を加速させたのは「クレジット商法」
明治末期からは、漆器をたくさん売るために支払いについても工夫していました。
当時、漆器は高級品。一般の人は欲しいと思ってもすぐに買えるものではありません。
しかし、商人たちはこの人たちに目を付けたんです。その場で代金をもらうのではなく、支払い期日を設けて分割で集金を行ったところ、これが大ヒット!
つまり桜井の商人たちは、現代の「クレジット商法」の礎を築いた凄腕の商売人だったんです。
愛媛の商売上手な県民性を表す「伊予商人」は、桜井の商人のことを指しているといわれています。
ちなみに、今治市の桜井6丁目には、「月賦販売発祥記念の碑」も残っているんですよ。
今も進化を続ける桜井漆器
各地の職人によって作り上げられた桜井漆器には、さまざまな技術が集結しています。
金粉や貝を使った蒔絵や、沈金といった金箔や銀箔を埋め込む技法も伝わって、優れた工芸品になったんです。
現在も今治市では桜井漆器が生産されていて、伝統的な重箱や椀だけでなく現代的な商品も生まれています。
漆器とクリスタルガラスを組み合わせた「花クリスタル」もその一つ。
愛媛県の優れた特産品が登録される「すごモノ」や「日本の優れた地方産品500」にも選ばれています。
まとめ
桜井漆器は、桜井の商人たちの優れたアイデアによって生まれた工芸品。
現在では、オンラインショップなどでも購入することができますよ。
漆は、しっかりとくっつく接着剤としても用いられることから、大切なひとへの贈り物にもおすすめです。
当時の人々が作り上げてきた伝統をこれからも受け継いでいきたいですね。
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